日記
2001-03-24


息子の卒園式の日。ブレザ−にネクタイを締め、息子と一緒に歩いて保育園へ行く。娘はママと自転車で行く。保育園の前に着くと、1才と2才の時の担任の先生が出迎えてくれる。いつもはピンクのジャ−ジの先生たちも今日は黒いス−ツである。2人の先生に息子と並んで写真を撮らせてもらう。娘はいつも通り保育してもらい、息子も自分の部屋に行く。僕と奥さんは「遊戯室」に入る。

子供たちが保育証書をお母さんに手渡すところの写真を僕が撮ることになっているので、会場の準備をしている先生から段取りを聞く。うちの奥さんとカナコちゃんのお兄ちゃんにモデルになってもらい、三脚の位置と自分が立つ位置を決める。フィルムはフジの800、三脚に付けるカメラは24−50のレンズでフラッシュ無し。先週の発表会で「遊戯室」の明るさを確認したのでフラッシュ無しでも大丈夫のはずである。もう一台、手持ちで撮る方は35−105にフラッシュ有り。

壁際に寄せた椅子をカメラマン席ということにして座る。だんだん集まってきたお母さんたちに「お世話になります」と言われる。子供たちが入場し、園長と地元小学校校長と町内会長の簡単な祝辞の後、入園した年の順番で一人ひとり保育証書をもらう。息子は0才からなので一番長い6年間の保育を受けたという証書をもらう。担任の先生が涙声で名前を呼ぶ。呼ばれた子供は、壇上で園長から証書をもらい、お辞儀をして、壇を下りて、お母さんに証書を渡す。子供が「こんなに大きくなりました、お母さんありがとう」というセリフを言っている間に、僕が手持ちと三脚の2台のカメラで1枚ずつ写真を撮る。親子の立つ位置が離れすぎていたり、子供が早口にセリフを言って走り去ろうとしたりするので、とても難しかった。先生は泣いているが、子供たちは結構平気な顔だ。

式が終って茶話会。赤ちゃんの頃の担任の先生が「こんなにちっちゃかったね−。ミルク飲んでくれへんで困ったわ−。」と思い出話をしてくれる。園児用の小さい机と椅子で弁当を食べつつ、各父母から先生方に感謝の言葉を述べる。子供たちと担任の先生の記念撮影をする。

家に帰って着替え、バイクで写真を現像に出しに行く、息子も乗せて行く。子供を乗せて走るのは初めてだが、落っこちないか心配で30キロ以上は出せない。家に戻ってバイクを止めるとキャブレタ−のドレンパイプからガソリンが垂れている。コックをOFFにしておく。1時間経った頃、またバイクで写真を取りに行く。写真を受け取ってバイクに乗ろうとすると、駐車場にガソリンが垂れている。帰りにバイク屋に寄って相談する。バイク屋のオヤジがキャブレタ−のネジを緩めたり締めたりする。それは僕もやった。オヤジは「しばらく様子を見て、やっぱりダメだったらまたきて下さい、無料で直さしてもらいます」と言う。

夜、保育園で仲の良いお母さんたちが居酒屋で宴会をするというのに僕も誘われたので参加する。最初はお母さん3人と子供3人と僕だったが、だんだん増えて母親7人と子供8人になる。お父さんは僕ひとり。母親連中は子供たちを僕に任せて盛り上がっている。ソ−セ−ジ、軟骨唐揚げ、ポテトフライ、ソバなどを子供に分け与える。子供たちはそこら中を動き回って僕ひとりではどうしようもない。近くの席にいたテニス帰りの中年グル−プは好意的で、帰り際に子供にテニスボ−ルをくれたが、その後に来た親子はものすごく不快そうで、すぐに遠くの席に移っていった。


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